第3番 全忠寺

3-1.jpg

信渓山 全忠寺

荘厳な山門、手入れされた樹木、堂々たる寺院建築の清々しさに、 時間の過ぎるのを忘れ、佇んでしまう

​荘厳たる山門

河和駅界隈の商店街の中程、全忠寺ネオンに導かれて右折し、急坂を登りつめると、思いがけず視界がひらけ、 眼前に荘厳たる山門がそびえ立つ。四千坪という広大な境内はどこもかも清潔そのもの、手入れされ刈り込まれた樹木と、 堂々たる寺院建築のなんという清々しさよ、あたりを払う風光にしばし佇む。

3-2.jpg

​寺名の由来

3-3.jpg

天文三年(1534年)田原城主三代目戸田孫八郎は、今川義元からその忠義を賞せられ「全忠」という号を賜り、 知多半島のこの地に河和城(千八百石)を築き伊勢湾の水軍を監視した。 仏門に深く帰依した孫八郎は城外に一道場を建立して「全忠寺」と名付け禅僧宗薫和尚を師と仰ぎ初代住職とし、開山された。

 年を経て、徳川家康が本能寺の変の後、京より三河へ帰るため、伊賀越えにて伊勢湾を渡り、常滑に着し、 義母の里、戸田家をたよりに来山する。河和城は明智光秀の使者が到着のため入城することができず、 半田市の常楽寺に送り、ここから三河大浜へ逃げたという。後年、家康は来山して本堂庫院がこれである。

​心の支え、安らぎの空間

全忠寺と聞くと、子供の頃の苦しくて楽しかった夏の臨海学校を思い出す人も多いでしょう。 昭和25年、農地解放により寺院の運営が難しくなることが予想され、臨海学校の施設として寺を開放したのです。

 四百余年の歴史をさかのぼれば、戦時、平時、数々の人々の営みがそこにあります。 そして、常に、生きる人々の心の支えであり、死者の安らぎの場であった寺院は、犯しがたい荘厳さ、 敬虔さを如実に感じさせてくれる空間です。

3-4.jpg

​アクセス

3-5.jpg

470-2404

知多郡美浜町河和古屋敷60-1