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番外 松寿寺
東照山 松寿寺
ある夜、先住職の夢枕に馬頭夫人が現れ、 「一切の災難を消除し、厄除けせん」と託宣なさいました
松寿寺の歴史
松寿寺は天文十一年(1542)鄭孚守学首座を開基とし、雪天俊盛和尚を開山とする古刹で、往時は末寺六坊あり、 西国大名の篠島渡航時には、本陣として宿所に利用されるなど、知多半島南端の三名刹とも呼ばれていたものです。
徳川時代初期に東照山の山号を東光山と改めたことがあったが、不祥事が度々おこったので、 島民が嘆願してもとの東照山と称するようになったといいます。
馬頭観音さま
別堂の馬頭観音は日露戦争の大勝利を記念して、知多に百観音が開創されたとき、西国二十九番の馬頭観音を奉安したものである。
ところが、昭和二十五年のある夜、住職の夢枕に馬頭夫人が現れ、「一切の災難を消除し、厄除せん」と、ご宣託なさったのです。 この夢現の馬頭夫人のお姿を、伊豆天城山の白檀に刻み、そのお言葉どおり厄除祈願を毎月十八日に修行されるようになったのです。 この馬頭夫人は観音堂の右側に合祀される十センチ前後のご尊像です。
堂上に安置する石造観音像は、一番札所時志観音のあの観音石造と同じ石工の若き頃の作です。
海路要衝の地「篠島」
篠島は古くは伊勢神宮領であり、海路要衝の地として栄え、尾張八丈とも呼ばれた流人の島でもありました。
島特有の切り立った崖間を縫って軒を重ねる民家を登りつめると、悠然たる水平線と、 円弧を描いて打ち寄せる波を包み込む前浜海岸が広がっています。潮風を受けつつしばしたたずみ、 遠い古人も望郷の思い厚く、こうして海を眺めていたのであろうかと思いをはせます。
アクセス
470-3505
知多郡南知多町篠島東山56
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