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第9番 正法寺

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大悲山 正法寺

 

ご夫妻で祀られている毘沙門さまは日本でも数少ないのです

鎌田兵衛政清ゆかりのお寺

 ここ正法寺は、野間大坊で主君源義朝が殺される前夜に長田忠致により殺害された、家臣鎌田兵衛政清の屋敷跡です。

 鎌田兵衛政清の妻は長田忠致の娘であり、その縁をたよった義朝と政清の主従は、長田の謀反によりこの地で落命し、 政清の妻は自害し果てたといいます。

 鎌田の屋敷跡に天福元年(1233)比叡山の僧、徹円阿闍梨が草堂を建て、 鎌田兵衛政清の念持仏であった毘沙門天像を安置し、護摩堂を建立したのがはじまりと伝えられています。

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毘沙門天ってなに?

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 毘沙門天はまたの名を多門天ともいい、仏の説法の場には常にいたとされる四天王のうち第一位をしめ、 左手に宝塔、右手に鉾をもち、目をカッと見ひらき、忿怒の相で足下の邪鬼を踏みつけているものが一般的であるといいます。 戦勝の神としても知られ、足利尊氏や上杉謙信などの武将の守り本尊であったといわれます。

 この毘沙門天は、多宝塔形式の本堂に祀られ、行基菩薩の作と伝えられていて、 阿吁両体(毘沙門天と吉祥天のご夫婦霊像ということ)です。 ご夫婦で一緒に祀られている毘沙門天さまは日本でも数少ないのです。

千枚通し霊場

 又、名にしおう「千枚通し霊場」として、ここ正法寺が有名であります。

 小さい、といっても薄い和紙に「南無阿弥陀仏 法忍」と書かれた御符が百枚で一組になっていますが、 この御符を病気の時に飲むのです。"法忍"和尚は大変な高僧で法忍の書は一枚が千枚も通ったといい、 ここから「千枚通し」の名が出たといいます。その霊験は誠にあらたかであります。是非一度「千枚通し」をお受け下さい。

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​アクセス

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470-3411

知多郡南知多町豊丘本郷10

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