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第5番 誓海寺

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天龍山 誓海寺

弘法大師作、愛染明王尊は
日本三体の一つといわれている

岡戸半蔵(禅林)行者

海岸沿いの道を右折れすると、風景が一変する。のどかな田園に一筋の川が流れ、その川沿いの道が遙か山間へと続いています。  知多中央道の高架をくぐり抜けると、すぐに左手に誓海寺の石塔が佇んでいます。

 誓海寺は弘治元年(1555年)開創にて、三番札所全忠寺の末寺です。  今から百七十余年も前、文政の頃、一人の行者が当寺に来錫しました。知多郡阿久比福住の農家に生まれ、 中年になって愛児に先立たれて菩提心を起こし、諸国を遍歴した岡田半蔵(禅林)行者でした。

 半蔵行者は、弘法大師宿縁の地であるこの知多に"新四国八十八ヶ所霊場開創"をと大誓願し、志を同じくする、 知多市古見の妙楽寺亮山和尚、安兵衛行者とともに霊場作りに傾注し、文政七年(1824)、三人の誓願は成就したのでした。

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子安観音と愛染明王

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この縁をもって、誓海寺は知多四国霊場開山所のひとつであり、半蔵行者のゆかりの品が多数現存されています。 特に、安産祈願として名高い子安観音像は、半蔵行者の念持仏であったのです。彼の偉業を称え、山頂の禅林堂に祀っています。

 また、境内にある愛染堂には、良縁祈願として信仰の篤い愛染明王が祀られています。この明王尊は、 昔この地にあった荒子山金剛寺という一大巨刹に安置されていましたが、寺の荒廃とともに、 ここ誓海寺に奉安されたといいます。

​村落ごと移築

 山寺の趣き深い誓海寺も、戦前までは海沿いの村にあったのですが、昭和十九年、海軍河和航空隊の建設のために、 百戸ほどの家と一緒に村落ごと強制疎開し、土台石から瓦までほとんど全部を牛車で少しずつ運び込むという、 時の第八世智道和尚の献身的な努力で移築されたといいます。

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​アクセス

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470-2413

知多郡美浜町古布善切20-63

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