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番外 奥の院

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岩屋山 奥の院

 

百日の護摩を修した弘法大師は、「もし我を信じる者あらば、 病気災難など身代わりに立ちつかわさん」と誓われました

奥の院の歴史

 岩屋寺の山門を右へと足を進めると、霊気身に迫る杉木立の参道に、忽然と朱の色も鮮やかな大法楽塔が現れ、 自然と合掌をしてしまうたたずまいです。

 大同三年(808)弘法大師はこの奥の院を開創し、百日の護摩を修行し、ご自身の像を岩窟の中に納められました。

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身代大師のゆえん

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 「もし我を信じる者あらば、病気災難など身代わりに立ちつかわさん」とのお誓いがあったといいます。 ここ奥の院が身代大師とあがめられる所以です。

   三重の朱塗りの大法楽塔を右にとり、奥の院へと歩を進めますと、岩間からにじむ水にぬれる石仏、 崖をくり抜いた祠からくゆる紫煙、ろうそくの振れる灯火に、うっすらと仏の姿が浮かび上がってきます。

護摩と密教

 護摩とは、サンスクリット語の"焼く"の意からきた言葉で、火中に供物を投じて供養するのをいい、 智慧の火で煩悩を焼き尽くさんとする修法であります。

 大祭は旧暦二月初午の日と、八月九日が年大祭、毎月十七日が月例祭です。  この日、それぞれに氏名や願いごとを託した護摩木が幾百本もうず高く、次々と積み焚き、 燃え上がる火炎に印契を切りつつ祈念するご住職、和する幾百の信者たち。

 密教とは、仏の教えの中でも最も深遠な教説は、常人には容易に解きがたい秘説であるという考えから、 選ばれた人間にのみ伝承された秘密教であります。

 いにしえより庶民の参籠(おこもり)行場として名高く、七日、十四日、 二十一日と荒行をした身近な人たちの霊験は数知れず、医科学の発達した現代の世ですら、根強く信じられているのです。

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​アクセス

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470-3322

知多郡南知多町山海城洲62

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