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第16番 浄土寺

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青泰山 浄土寺

 

「お亀さん」と親しまれ、世に知られるようになった不思議な実話が・・・

​浄土寺の歴史

 わしの若いときゃあ 小佐までかよた
 小佐の薬師堂で 夜があけた

 これは豊浜地区に鎌倉時代より伝わる盆踊りで有名な須佐踊りの歌詞の一節です。

 行基開創と伝えられる小佐山東方寺が、この歌詞に登場する薬師堂のあったお寺です。しかし、明治維新の廃仏毀釈により、 明治六年に一時廃寺となりました。 村人は薬師堂がなくなったことを嘆き、境内の大欅の空洞から見つけられた薬師如来を本尊として、 明治二十三年に小佐の薬師堂の旧蹟に寺が建立されたのです。以来、青泰山浄土寺と称しました。

 参詣の人々は、このお寺を小佐の「お亀さん」と親しみを込めて呼びます。このお亀さんは、別殿に祀る龍亀大菩薩のことで、 次のような実話があります。

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​お亀さんのいわれ

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 明治四十二年九月十日、小佐の海岸に身長六尺、重量五十三貫の大亀が泳ぎつきました。 背には「奉大海龍大神」と大書され、「伊賀国上野村谷村佐助」と姓名が記されていました。

 住職の亀岳鶴翁和尚は、驚愕しました。それは、もう三晩も霊夢があり、「余は永く海中に住む大亀であるが、 もはや天寿尽きなんとす。われを請うてまつらば誓って諸願成就せしめん」と告げられていたのでした。 和尚は「今より汝をまつって境内に奉安せん」と告げると、霊亀はさも嬉しげに永眠したのです。

 和尚はこのことを谷村佐助氏に知らせたところ、病に苦しんでいた氏にも霊夢に大亀が現れたので、 和尚に告げられたように二見ヶ浦で漁師の網にかかった大亀を見つけ上野まで運んで懇ろに供養したところ病気が平癒したので、 その大亀に大書して再び二見の海へ放ったことがわかりました。

霊験あらたかな龍亀大菩薩

 以後、誰ということなく「お亀さん」と呼び、延命長寿、当病平癒の霊験あらたかな龍亀大菩薩として名古屋、 愛知ばかりでなく、静岡、岐阜、三重からはるばる参詣し、霊験を受けられた方は枚挙に暇ありません。

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​アクセス

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470-3412

知多郡南知多町豊浜小佐郷1

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