第13番 神護寺

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白翁山 神護寺

 

神を護り、神に守られながら歴史を刻んで来た神護寺には、 日本人の長い宗教観の歴史が生きている

神護寺の歴史

 江戸時代のお納経に羽豆神社内院と書かれた神護寺は、神を護り神に守られながら歴史を刻んできたお寺です。

 奈良時代、加賀白山の泰澄大師が開いたといわれ、白翁山という山号から白山修験の寺であったようです。 その後室町時代、中興されたと伝えられていますが、江戸時代以前のことは定かではありません。

 それというのも江戸時代初頭、領主千賀志摩守の家督騒動にまきこまれた重信法印が、 寺宝の一部や神護寺の多くのものを持って師崎を引き払ったためだといわれています。

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重信法印との関係

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 重信法印はその後、豊橋魚町に新たに神宮寺を建て隆盛を極めたといいます。 その裏には南朝の子孫が力を貸したといわれています。 当時の師崎神宮寺(元禄時代以前の神護寺の古称)は羽豆神社の別当として、 時には羽豆崎城の動向を探る南朝の密偵の役を果たしていたためと思われます。

 また重信法印は伊勢神宮より派遣された小久保一族の人だといわれ、明治時代まで、 羽豆神社だけでなく篠島八王子社の祭礼をも司っておりました。

境内のたたずまい

 泰澄大師の作といわれる本尊の観音様は、村人をお経により導いたといわれる持経観音様が祀られています。 脇には不動様と毘沙門様がまつられ、無理なお願いをする私達に、時には不動の鞭をあて、 時には毘沙門の福を与えて済度して下さるといわれております。また、境内には八大龍王神、秋葉三尺坊、 津島社がまつられ、本堂には羽豆神社の祭神の壁画もかかっております。

 本堂は元禄年間に再建された建物ですが、近年天井画が奉納されました。 平成元年には徳川斎朝公ゆかりの毘沙門様を祀る七福堂が建てられ、 その参道には長野善光寺の参道旧敷石が利用されました。

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​アクセス

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470-3503

知多郡南知多町師崎鳥西27