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第17番 極楽寺

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梵音山 極楽寺

 

南知多町で最も古い寺であり、創建は不明だが、 須佐の古寺と尊称されています。

須佐の古寺​

 県道北側の高みにある極楽寺は、今から紹介する昔話のとおり、南知多町で最も古い寺であるといわれ、 須佐の古寺と尊称されています。

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極楽寺のご本尊さま

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 むかし、須佐(豊浜)の沖に夜になると、なにか光るものが見えると村人たちがうわさしあっていたときのことです。 須佐に勘小藤六という兄弟の漁師がいて、ある日、伊勢湾で網を引いていますと、ずっしりと重い手応えがありました。 たぐり上げてみますと、金色に輝く仏像がかかっているではありませんか。驚いた藤六は、 さっそく地元の極楽寺に安置しましたが、その夜、藤六に夢のお告げがありました。

 それは、「われは、唐の玄宗皇帝の守り本尊であったが、この度、日本の人を救うためにはるばるここへやって来た。 ここより北方に岩屋の霊場があるから、そこへ移せ。」と言ったようでした。

 この話を聞いた極楽寺住職が、そのことを朝廷に申し上げますと、時の元正天皇は大いに喜ばれ、 行基に命じて岩屋に七堂十二坊の大伽藍を造らせ、そこに仏像を安置、勅願所として千眼光寺の別号を賜りました。 これが大悲山岩屋寺の縁起です。

 -知多のむかし話より-

県の指定文化財

 さて、その岩屋寺供養の時、導師として来臨された僧行基に、藤六は「金色に輝く仏を岩屋寺に移したので、 極楽寺の寂しさは・・・」と嘆きましたところ、行基は阿弥陀、観音、勢至の三尊像を彫して与えたもうたのです。

 岩屋寺創建とされる霊亀元年(715)より、更に古い開基ということになり、 伝説の本尊阿弥陀如来は藤原時代末期の作で昭和三十一年、県の指定文化財となりました。

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​アクセス

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470-3412

知多郡南知多町豊浜高浜51

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