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第15番 延命寺

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亀翁山 延命寺

 

どこの誰ともわからずに、自刃して果てた姫君を祀る姫塚が 崖の下にひっそりとその悲話を伝えています

​創建

 ここ延命寺は永録元年(1558)に、笑山慧誾大和尚を開山、悦岩喜公和尚を開基として創建されました。

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玉姫物語

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 山門をくぐると眼前に山がせまり、境内中央には堂々たる鐘楼門が目をひきます。 この鐘楼の西の墓地を背に、姫塚といわれる五輪塔があります。この姫塚には「玉姫物語」として、悲しい話が伝えられています。 世は大阪夏の陣のあった元和元年(1615)のことです。

 徳川家康によって大阪城は落城し、豊臣方の家臣や残党は、炎上する大阪城を後に、密かに脱出を計り、 知多の海上を大阪丸で逃れてやってきました。

 海上警備に携る羽豆城主千賀志摩守の客分であり徳川方の輸送船団指揮していた稲生猪右衛門が大阪丸をつかまえたところ、 この船に数人の侍女にかしづかれた一人の美しい姫がいました。その姫君が、一夜、ここ延命寺に預けられたのです。

 翌朝、すすり泣く侍女の声に、かけつけた僧の目に、自害し果てた姫の姿が映ったのです。 名も告げず、いさぎよい最期をとげた姫を、村人は玉姫と呼び、ねんごろに葬るとともに、姫塚を建てて供養したといいます。

洛中洛外図屏風

 姫君と共にあった品々は千賀家より寺宝として寄進されました。

 その一つが、六曲一双(145.5×355cm)の洛中洛外図屏風です。 京都八坂神社の祇園会を主題として取り扱っている素晴らしい屏風です。

 豊臣氏の御座船に乗せられていたこと、 また狩野永徳の洛中洛外図屏風の構図といい作風といい似ているところから狩野一門の絵師の手によるものと言われています。 ぜひ参詣の折には一目を。

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​アクセス

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470-3503

知多郡南知多町師崎的場83

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