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第8番 長寿寺

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仙翁山 長寿寺

 

この"遍路泣かせの巡礼峠"にはその昔、遍路を励まし 力づける村人たちの心温まるお接待がありました

遍路泣かせの巡礼峠

 たった今、越えてきたばかりの峠道は"遍路泣かせの巡礼峠"として、昔から白装束の遍路さんが息をはずませて登った難所でした。 年老いた遍路たちは坂の下で一息して、覚悟を決めてから登ったといいます。

 そんな遍路を励まし、力づけたのは「お接待」でした。お接待とは遍路を助けることで自分自身にも功徳を積もうというもので、 自家製の芋や豆やくだものや、お茶を接待する村人たちで、峠は賑わったといいます。品物を接待できない人達は労力奉仕です。 峠下から老婆を背負って上がる若者、手を引いて遍路を励まし力づけながら登る娘たち、こんなのどかな情景が、 この豊丘峠の春の風物詩でもあったのです。

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本堂の屋根瓦

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 ここ長寿寺の寺歴は定かではないのですが、その棟札から文政三年(1820)に本堂建立という、 わずかな歴史が垣間見られるのみ・・・。小じんまりと風格のある山門に何故か心が惹かれてしまいます。

 昭和五十六年一月に改修された本堂の屋根瓦が美しく、棟瓦の仙翁山と彫られたオレンジ色の文字が象徴的です。 ご本尊の地蔵菩薩のお祭、地蔵会が毎年正月七日に行われてます。近隣の檀信徒が集まり、お接待で七草がゆを食べて頂いています。

地蔵菩薩とは

 この地蔵菩薩、おなじみのお地蔵さまもやはり観音菩薩と同じように、実在の人ではなく、 釈尊のさとりの内容と誓願を表象された象徴人格なのです。命をはぐくむ大地のように大悲を蔵しているところからこの名があり、 釈尊が亡くなられてから次のほとけ、弥勒仏が世に出られるまでの空間地代を、人との救済の任にあたり、 地上に伝えられてゆくというのです。

 生みなさぬ
 ものとてはなし 土の徳
 今日もひとしおに 仰がるるかな

という古歌そのままの象徴がお地蔵さまなのです。「観音経」の最後の章で、釈尊にお礼を述べられるのはこのお地蔵さまです。

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​アクセス

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470-3411

知多郡南知多町豊丘本郷85

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