『寺院紹介』  第二十九番札所  慈光寺

臨海山 慈光寺

天文八年(1539)恵空上人により開創され、十四世安空義静上人により中興されました。本堂に合祀されている秘仏、大日如来像は十二年に一度開帳されています。

この南知多三十三観音霊場中、馬頭観音さまが祭祀されているのは、ここ慈光寺ただ一寺です。この馬頭観音さまが頭上に馬の頭を頂いて、お不動さまのようなおそろしい憤怒の形相をされています。なぜでしょうか?

優しい顔ばかりではだめだから、たまには怖い顔でゴツンと・・・などというばかりではありません。「怒り」がどんなに悲しい、うつろなものであるかを見せてくださるのです。馬頭観音さまは馬や牛たちの安全を守ったり、交通安全をお願いしました。

なお、慈光寺には天保七年作、地獄絵図が十四幅と本四国巡拝初願者、衛門三郎ゆかりの杖杉弘法大師が奉安されています。また、円空作、「弁財天」が安置されています。お像は十センチ余りですが円空独特の味わいがあります。

『寺院紹介』  第三十三番札所   持宝院

南知多三十三観音の札所では、三十三番の結願所となります。当山は、名鉄内海駅から北に400メートルの山の中腹に有り、歩いていただきますと、88段の階段を登っていただかなければなりません。でも車(乗用車)ですと、本堂前まで行けますので、足や腰の悪い方でも楽に御参りが出来る所となっています。

当山の歴史は古く神亀年間に僧行基によって開山されたと伝えられております。

時代の変化によって、応永年間に当地へ移転となりました。それまでは、一山九院で有りましたが、1572年に持宝院のみと成りました。

本尊様は如意輪観世音菩薩様でございますが、古へより秘仏として開放いたしておりません。されど皆様の願い事を御聞き取りいだける仏様で御座います。

本堂内には、古への時期に西国順拝されました方々の参拝記念の額が上っております。昔のことなので約一か月の行程だった事のようです。当時の皆様の観音信仰が、いかに深かったかという事を思い知らされます。現在の南知多三十三観音では、歩いてなら3乃至4日ほどで、車ですと2日ほどで余裕をもって参拝が成満いたします。今の時代にあっているとおもいます。是非一度といわず御参拝下さい。特に10月は各札所にて御接待が有りますので、よろしいかと思います。また、令和2年は、南知多三十三観音霊場90年の記念に年となります。この年には、記念宝印がいただけますので、ぜひ御参拝いただけますよう、切に願っています。

『寺院紹介』  第三十二番札所     妙音寺

当山妙音寺は内海駅より西に少し歩いていただいた道路沿いにある曹洞宗の寺院で、本堂中央須弥壇上の堂に本尊として東方薬師瑠璃光如来と日光菩薩、月光菩薩、十二神将を祀っており、毎年旧暦十月八日、と十二日に八日薬師(ようかやくし)、十二薬師(じゅうにやくし)という呼称で、お参りに来られる檀家様や地域の方々の健康祈願の祈祷や十二薬師の際は、護持会の役員の皆様がぜんざいや団子などをお参りに来られる方々に接待していただいております。

当山の薬師如来様を中心として、内海の地域の東西南北の山に四天王がお祀りしてあり観光マップにも掲載されているようです。

当山は三十三観音霊場として千手観音を祀っております。

千手観音様の代表的な御利益は、災難に遭わない、寿命をのばす、病気を治す、夫婦円満、恋愛成就などで、十五の悪い死に方をのがれ、後世で十五の良い境遇を得るとされています。

また当山は、千枚通霊場として弘法大師も祀っています。

千枚通とは、千枚の御護符が入った霊符のことで、これを授かり朝夕祈念しながら一枚水にひたしてそのまま飲むと病気平癒、安産の御利益があるというものです。

現在は製法に詳しい方をみつかっておらず、お渡しすることができませんが、将来的に復活できたらと思っております。

薬師如来様も病気を治し心身を健康にしてくださる仏様ですので、当山はこのように四苦八苦(仏教における苦の分類)の生老病死の一つ、病苦の困難から人々を救うための仏様を中心に祀られております。豊かな人生は元気な心身があってのことだと思います。三十三観音の参拝の際は、健康祈願を一つお願いに加えてみていただければと思います。

また当山は、十二月三十一日の深夜0時前後に除夜の鐘つきをしております。どなたでも参加できますのでお参りの機会にしていただければ幸いです。

合掌

 

 

『内海の密教寺院』  第三十一番札所  如意輪寺

   如意輪寺は天文2年(1533)に帰依者によって堂宇が現在地に再建され、天正2年(1574)に梅山和尚が中興開山となりました。
知多四国霊場が始まった翌年の文政8年(1825)に霊場本部が置かれ、平成14年には本堂移設修繕が行われ、本堂を境内の一段高い場所に曳き上げました。

如意輪寺は通称「中寺~なかでら~」とよばれており、ご本尊如意輪観音さまは「中寺の厄除け観音」と親しまれております。

如意とは如意宝珠、輪とは法輪の略で、如意宝珠と法輪をその手に持ち、衆生の苦を抜くことを本意とします。如意宝珠には災いを防ぐと古来から信じられており、法輪は古代インドの武器であったチャクラムが転じて煩悩を砕く仏法の象徴となりました。

 現在、弘法大師より伝えられた密教の護摩祈祷、住職手づくりのリボン腕輪(如意輪具~にょいりんぐ~)などのお守りがあり、参拝者の目を楽しませています。

 

 

如意輪具・金剛       如意輪具・天道      如意輪具・明星

(にょいりんぐ・こんごう)    (にょいりんぐ・てんどう)  (にょいりんぐ・みょうじょう)

『寺院紹介』  第三十番札所 泉蔵院

当山は真言宗豊山派で、本山は大和の長谷寺である。

当山一帯は入り江の入り口東側も岬に位置し、一色氏の城跡である。往古は弘法大師御巡錫の霊跡、観福寺の一坊であったが室町時代初期に、一色氏の願いにより鎮守堂として城内(現在地)に移転された。

後に一色氏は佐治氏に追われて廃城となり、泉蔵坊が尾風山泉蔵院となったのは天文年間である。

境内には、本堂、観音堂、弘法堂、金毘羅大権現、三社権現の諸堂がある。

本堂は薬師堂で延宝五年再建。本尊は薬師如来と阿弥陀如来の同座。日光月光菩薩、十二神将、向かって左に聖天(大聖歓喜天)、右に不動明王を祀る。宝暦四年に奉納された県指定文化財の算額がある。

観音堂は弘法大師御影堂で、昭和五十九年再建。

金毘羅大権現堂は文政七年再建で、ハイリスクハイリターンの買積式で有名な内海船の前野小平治家の寄進。

三社権現は中央に牛頭天王(津島)、向かって左に稲荷、右に風宮(伊勢)の各権現が祀られている。

金毘羅大権現、三社権現ともに仏教の神を日本風の神社として祀った神仏習合時代の形式である。

ちなみに琴平津島は共に明治の廃仏神仏分離で神社として孤立し、金毘羅大権現も牛頭天王も祀られていない。

『寺院紹介』   第二十八番札所   寶積院

寶積院は、鍋山に佇む御本寺の性海寺五世住持が永禄2年(1559年)

に開基された頭塔の一小院であったが、後に性海寺十二世蘭峯盛曇

大和尚の時、堂宇を創建し法地開山された。

 

本尊は地蔵菩薩を御厨子の中央安置し、その廻り三方向には約9センチ程のお地蔵さまが千体合祀されています。

 

創建された当時は、室町末期の戦国動乱の最中にあり、多くの人々が失われていきました。

この内海の地も慶長五年(1600年)に鳥羽の大隅九鬼守の軍勢に

御本寺の性海寺や多くの集落が焼かれた。このとき悲運にも性海寺

の住職は堂宇と運命をともにされた。こうした当時の無情を悲しみ、

無縁仏を祀り供養されていたのが寶積院の創まりと伝えられている。

 

人々の信仰が千体のお地蔵さまを祀り、更に時代と共に観音信仰へと推移していき、いつの頃にか西国三十三観音霊場のご本尊を合祀

するなど、庶民信仰に支えられて大きく寺運は発展していったとされる。

 

天保十三年には、内海の豪商である前野小平治氏が金十両、御蔵米

五石、人足百人をもって本堂を改築された。現在の建物はその当時のもので、ご本尊の脇壇に前野家の位牌堂を作り、先祖の菩提座とされた。

 

庫裡にある大きなスリコギは、庫裡の屋根を葺き替えた時の記念に当院十六世が掛けたもので、大本山永平寺での修行中一番心に残った言葉だったそうです。

「身をけずり 人につくさんすりこぎの その味知れる 人ぞ尊し」

『寺院紹介』   番外札所   長山寺

番外の長山寺でございます。

境内をまっすぐにお進み頂いた正面に建つ本堂の左手奥に文殊菩薩様をおまつりしております。文殊菩薩様とは智慧を司る仏様といわれており、文殊師利(もんじゅしゅり)の略称です。

人々に智慧を与えて悟りに向かわせるように働きをかけるといわれております。この事から「三人よれば文殊の智慧」ということわざを皆様も御存知かと思います。

文殊菩薩様の特徴として

・右手に剣を持つ

・左手にお経を持つ

・獅子にのる

・多面多臂

・顔が幼い

となっております。また御利益として学力向上、合格祈願である学業成就があまりにも有名なのでその他の御利益はあまりしられていません。実は文殊菩薩様には安産の御利益や家屋を守る御利益があるとされています。

文殊菩薩様を南知多三十三観音霊場としておまつりしてあるのは当寺院だけですので、どうぞこの機会にお参りしてみてください。

また、境内の左手に建つ薬師堂には聖徳大師作と伝えられている薬師如来様がまつられております。

薬師如来様とは病気を治し心身の健康を守ってくださり、現世利益をかなえてくれる仏様といわれております。

その横に建つ弘法堂には、少し珍しい仏様で、右手に鯖を持つ鯖大師様がまつられております。

鯖大師とは弘法大師が旅僧の姿で鯖を一匹請うたのに、商人がその鯖を与えなかったために罰せられたという伝説から、峠や坂の神に食物をお供えする風習と仏教でいう生飯(さば)を称したことが転換したといわれています。

鯖大師に願をかけて三年間、鯖断ちをすると子宝成就や病気平癒などの御利益が得られるとされています。

皆様のお参りをお待ちしております。

合掌

『寺院紹介』  第二十七番札所  大宝寺

二十七番札所 菅生山 大宝寺

大宝寺 吉井敬晴

当山大宝寺は弘法大師の霊夢により文化六年(一八〇九年)に好堅尼により開かれた寺院です。その昔弘法大師が師崎から布教伝導された折、この山中で休息ご修行された霊泉は今も硯水大師として本堂の正面に当時の姿を留めています。

宗派は曹洞宗で、御本尊様は釈迦如来です。

本堂中央須弥壇には弘法大師が、御本尊様は向かって左側中央にお祀りされています。

また当山は観音信仰のお寺でもあります。まず山内駐車場には巨大な「もくれん観音」が参拝者をお迎えしてくれています。縁切り縁結びの観音様として悩める方の信仰を集めています。

次に、駐車場から通称「もくれん坂」を上り、左に曲がって行くと観音堂があります。向かって右側に如意輪観音が祀られています。この観音様は我々の悩みや迷いを切り、意のままに安穏を与えて下さると言います。中央には通称「癪観音」が祀られています。癪とは胃痙攣の事で、特にお腹の病気には効験があると伝えられています。佼成出版・当山三世・雲輪瑞法尼の著書「観音経を読む」には瑞法尼が実際体験された当山観音様にまつわる数々の不思議な霊験談が記されています。

朝のお勤めや法事ご祈祷等で観音経をお唱え致します。一心に観音様を称名すれば必ず守護して頂けることが説かれています。観音様と「感応道交」した時に救いがあるのです。

末筆ながら、当山は特定の檀家さんの無い寺院です。毎月の弘法例祭や悩み相談、日曜坐禅会等、広く何宗の方にも山門は開かれています。曹洞宗寺院ではありますが、「皆の宗」寺院というつもりでお気軽にご参拝頂ければ幸いです。

南無観世音菩薩・合掌

『謙虚さを忘れないように』  第23番札所 西方寺

寺には位牌堂があり、毎朝ご先祖の命日に霊膳を供えています。

ある日、檀家のおじいさんが寺に来られ「和尚さん、お膳に欠けたお碗を使ったらいかん。わしらも欠けた茶碗を使ってご飯食べるのはいややろ。寄付するですぐに新しいのに変えてくれ」と。

言われて一瞬、そんなにひどいお椀は使ってないと思うけどと。弁解がましい言葉が口からついて出る。確かに、そろそろ交換かなと思っていた矢先。素直にそうですかとはいかない。後で確認し、おじいさんの言われるとおりだったと反省する。

まずかったかな。よくよく考えてみると、位牌堂のお膳一式すべてこのおじいさんが寄付されたもの。そんなおじいさんの思いを無にしないためにも、任されたこちらは日々の勤めをおろそかに出来ないと再認識した次第です。

人間は傲慢な心を必ず持っています。相手の気持ちなど考えることなく、自分を押し通す。わたし自身もこれまで多くの人たちに気づかないうちに傷つけてしまったことがあったにちがいないと思うし、これからもそうかもしれません。辞書には傲慢をおごりたかぶる慢心、思い上がりの心とあります。気づかせていただいたように思います。

こちら側だけの思い込みで見失うことの多いこと、常に相手があることを忘れてはいけないのです。

みのる程 頭たれる 稲穂かな

謙虚さをわすれないようにしたいものです。

『ボランティアは観音さまの使い』第22番札所 宝珠寺

洗い観音さまが建立されたのは、平成三年十月十八日の日が誕生日となっています。それから二十七年になるのですが、縁日を初めたのが一年後の十月十八日からです。

観音さまの日というのは、昔から十八日がその日です。弘法様は二十一日、お地蔵様は二十四日と決まっているのです。高島易断にも一月の暦の所を見るとちゃんと書いてあります。

ですから毎月十八日を洗い観音さまの縁日として、二十七年間とりおこなわれてきたのですから、計算すると三百二十回あまり縁日をしてきたのですね。

当日は、たこ焼き、ダンゴ、甘酒、等々のお接待。前日からテント、椅子、机の準備などいろいろな役目のお仕事があります。和尚さん一人ではとても出来ません。心よりお礼申し上げます。

それにはボランティアの皆様の力が無ければ、とうていできなかったのです。スゴイ事ですね。

そこで和尚さんは思ったのです。毎朝、本堂で洗い観音さまをお参りしている姿を見ていた観音さまが、「この寺の和尚は忙しくて手が回らず困っている、行って手を貸してやるといい」そこで、そばにいた千手観音さまが「私は、沢山手を持っていますから、困っている人がいたらこの手を貸しますよ」そう云う事で観音さまに選ばれた人が、縁日にお手伝いに来て下さる様になったのではないかと和尚さんは思ったのです。

だからボランティアの皆様は観音さまの使いということになるのではないでしょうか。本当にそうなんです。

合掌

『祈祷の寺』 第21番札所 影向寺

当寺は永禄年間の創立で、当地に浄心寺、影向寺、興福寺の三ヶ寺がありましたが、明治初年に三寺を合併し普門山影向寺となりました。

御本尊には十一面観世音菩薩が奉祀せられております。また、本堂正面上にある親子竜並びに獅子、猿の彫物は信州下諏訪立川流名工「立木音四郎種清」の作になります。

当寺は祈祷の寺でもあり、子安大師尊、御母公大師尊をお祈りし、子安大師尊が応現したまい安産、子育、除難、除病の本願を開き、広く一切衆生を抜苦与楽せしめんとする祈祷道場であります。

祈祷の申し込みは県内にとどまらず全国から申し込みをいただいており、祈祷すれば必ず感応こうむるものと深く信じて精進いたしております。

お寺の裏に進みますと、昭和46年に全国の篤心者の浄財により建立されました子安観音が安置されております。子安大師尊の一切衆生を吾が子として安産、子育除難、除病、家内安全などの大威神力が広大無辺なる大慈悲心と一体となり衆生済度の大誓願がこめられた霊験あらたかな霊場です。

その下の地下室には、私たちが生まれた時から定まっている生れ年による守護仏十二支の守り本尊八体が祭られています。

自身の守り本尊を拝まれると同時に、ご家族やご縁者の方のご本尊を是非お参りください。

『寺院紹介』 第20番札所 円増寺

第二十番札所 円増寺の本堂(護摩堂)は元禄九年(1696年)の改築で外陣から参拝をお願いしていますので、内陣の紹介をします。

本尊、十一面観世音菩薩坐像(江戸時代)と勢至菩薩は脇侍です。又特筆すべきは、薬師如来坐像(室町時代後期の永正十七年(1520年)と墨書銘の客仏として安置され、厨子に祀られています。

護摩壇は元禄十五年(1702年)の寄進によるもので、護摩壇で護摩木をもやしながら祈禱するもので、堂内は薄暗くなっています。

 

尾張各所図絵にも特筆されている客殿は、尾張藩主二代目光宏公によって寄進されたと伝えられる桃山造りの豪華なもので、内仏、書院と、又大広間では、地区老人会などの集会所、憩いの場として毎月利用されています。

須佐の入江と『ごもんじき』  第17番札所 極楽寺

古来より須佐のふる寺と尊称され、広く親しまれる当山の裏山(ぐもんじさん)は『ごもんじき』と呼ばれ、聖崎に上陸した弘法大師が求聞持の秘法を修行した尊い場所です。また、平治の乱で敗走し、野間大坊で討たれた源義朝公が、再起を賭け海路東行する為にめざした寺であるとも伝えられています。

海をへだてて伊勢の山々を望み、眼下には須佐の入江が広がっています。

「物に寄せて思ひを陳ぶ」

あぢの住む須佐の入江の荒磯松

我を待つ児らはただ一人のみ

(訳)アジガモの住んでいる須佐の入江の荒磯に生えている松のように、私を待つ女性はあなた一人だけです。

これは万葉集巻十一に詠まれた作者不詳の歌で、豊浜小学校には佐々木信綱揮毫による歌碑があります。須佐は豊浜の旧地名であり、太古から天然の良港として知られ、数多くの船の寄港地として繁栄していました。この港が須佐の入江に違いないと考えた斉藤駒吉氏や松田好夫氏ら先生方の永年の研究によって、豊浜須佐湾説が広く認められるようになったのです。昭和54年、名残りの荒磯松が一本残っていた峠の一角に、「渚沙乃入江」の碑が建立されました。

さて、万葉集巻十四にはもう一首、須佐の入江を詠み込んだ作者不詳の歌があります。

東歌「相聞」

あぢのすむ須佐のいり江のこもり沼の

あな息づかし見ず久にして

(訳)アジガモの住んでいる須佐の入江の奥深くこもる沼のように、気持ちがこもって息苦しいことです。あなたに長い間会わないので

以上の二首は別々に編集されてはいますが、松田先生の説によると、元々は男女の問答歌であったということです。

『ごもんじき』は、実に千年以上に渡って須佐浦の歴史と人々の営みを見守ってきました。それはこれからも続いていくのです。

『お亀さん』 第16番札所 浄土寺

こんにちは、十六番のお亀さん浄土寺です。

この寺が、どうして「お亀さん」をお祀りするようになったかの由来です。今から百十年前の出来事です。ご一読いただければ幸いです。

明治四十二年九月十日、早朝 体調一八〇㎝ 幅一一〇㎝ 重さ約二百㎏のアカウミガメが当時の海岸に打ち上げられていました。

大亀の背には、「奉大海龍大神」の六文字と 伊賀上野町谷村佐助 外十一名の姓名が記されていました。

大亀は、元気がなく瀕死の状況でした。

知らせを聞いた和尚は、大変驚きました。それは、和尚の夢枕に昨晩まで三夜続けて白髪の老人が現れ、「私は、長く海中に棲息する大亀なるが、もはや近く天寿尽きなんとす。若し、私を請して祀らば、誓って諸願の成就せしめん」と和尚に告げていたのだそうです。

和尚は、村人を集めて海岸に行き大亀に向かい「今より汝を神とあがめて我が境内に奉安せん」と語り掛けました。

和尚の言葉を聴き終わると大亀は、さも嬉しげにうなずき、眠るように息を引き取りました。

和尚と村人は、ねんごろに埋葬し、大海龍亀大菩薩として厳かに供養しました。

ことの次第を伊賀上野町の谷村佐助氏に連絡したところ、佐助氏は、大変驚き、ただちに一族を打ち連れ当地に訪れて大法要を営まれました。

三重県伊賀上野の庄屋 谷村佐助氏は、長く病気で苦しみ医者にも見離され、死を待つ状態でした。佐助氏は、病気平癒を念じて伊賀神宮に願掛けをしたところ、ある晩、白髪の老人が夢枕に立ち、「我は、長く海に棲む大海龍大神なり、我を十七日間、一心に念じて供養すれば貴方の病は、たちどころに平癒すべし」と告げられました。

翌朝、佐助氏は、幾人かに霊亀を探させるのでした。

そのうちの一人の番頭さんが二見ヶ浦に着いた時、不思議にも、たった今漁師の網に大亀が入ったと、ひとかたならない騒ぎに遭遇しました。番頭さんも実に不思議に思いながら、主人の指示通り大金を投じて漁師から大亀を譲り受け、国鉄の貸車に載せ、伊賀上野の谷村家に連れ帰りました。

佐助氏の喜びは、たとえようのないものでした。佐助氏は、十七日間、夢のお告げのとおり一心に供養しました。

不治の病といわれていた佐助氏の病は次第に快復し平癒しました。

佐助氏は、感激と感謝の思いをこめて大亀の背に「奉大海龍大神」と大書し、一族の姓名と住所を記し、再び二見ヶ浦に放ちました。

これ実に明治四十二年九月二日のことでした。

『寺院・篠島の紹介』 番外 松壽寺

番外 松壽寺は

開山 天文十一年(1542年)

雪天俊盛大和尚

本尊 如意輪観世音菩薩

住所 南知多町篠島東山五十六番地

 

松壽寺は『篠島』島です。お参りに来るには、師崎港・河和港・伊良湖港から名鉄海上観光船の定期便などにより島に渡っていただき、篠島港からは海水浴場を目指しますと東端の山上に松壽寺が見えてきます。正面に本堂、左にあるお堂に観音様が祀られています。

篠島・・・2010年の国勢調査における人口は1763人。面積は0.94k㎡、南知多町の本土との最短距離は約3キロ。

人口が江戸時代後期は『584人』、明治7年(1874年)は『1006人』、明治24年(1891年)は『1562人』と1世紀余りの間に人口が3倍近く増加し、昭和25年(1950年)には過去最大値の『3785人』を記録。その後は昭和45年(1970年)に『2807人』、平成2年(1990年)に『2352人』、平成12年(2010年)に『1763人』と減少が続いている。

経済の中心は水産業であるシラス漁・フグなどが盛んであり、ノリ・ワカメ等の冬場の養殖産業も盛んである。

以上、簡単な篠島の説明です。

最後に先日漁師の友人と話をし、平成29年1月~11月まで『50日シラス漁に行けてない。ピンチだぞ』と。例年は100日前後の出漁だそうです。小女子漁『0・ゼロ』、シラス漁『半分』大変な1年です。

変わらないのは島民の皆さんが親切で温かい島であることです。

『寺院紹介』 番外 宗真寺

【宗真寺の紹介】

路地に立つ石塔から緩やかな石段を登ると、創建から残る山門があります。そこから眼下に広がる師崎港、右側には篠島、左側には日間賀島を一望でき、一幅の絵画を見るような景勝地が広がっています。また、樹木に囲まれた境内には、阿弥陀信仰を伝える「南無阿弥陀佛」の六字名号の石塔、百日紅の老木の枝下には檀信徒の祈願が込められた千体地蔵尊があります。本堂の西側には。京都伏見稲荷由来の朝日稲荷がまつられています。

 

 

【お十夜】(十夜法要)

お十夜は、正しくは「十日十夜法要」といい、以前は十日十夜にわたって行われた念仏会のことです。現在では、一般的に一日一座の法会となっています。元々は天台宗の寺院で貴族のためにおこなわれていましたが、1495年(明応4年)に鎌倉光明寺9世の観誉祐崇上人が後土御門天皇の勅命を受けて宮中で行い、許しを得て京都から鎌倉に移し、民間念仏として行ったことから全国の浄土系寺院に広まったと伝えられています。その由来は、『無量寿経』に阿弥陀如来への報恩が説かれており、「この世での十日十夜の善根は、無量寿国で千歳(千年)の善根にまさる」ということからこの法要が行われるようになりました。

宗真寺では、例年10月中旬の夜に行われてます。婦人会の方々による手作りの夕食を頂いたあと、塔婆回向を勤め、お説教を聞き、最後に108本の蝋燭に火を灯し、幻想的な雰囲気の中で、お参りの方々全員でお念仏を称えます。

『えんじぞう』 第15番札所 延命寺 

暑中見舞い申し上げます。

井戸端会議、子供たちが遊ぶ声、会合などの地域の「地縁」、少子化、親戚つき合いなどの「血縁」が薄れている世の中、それに加え、「心の豊かさ」より「物の豊かさ」が優先される世の中になっている気がします。

南知多三十三観音霊場会があるこの美浜、南知多両町も「地縁」「血縁」が薄れてきています。空き家が増え、一人暮らし、老いた夫婦だけの家が多くなっています。

時代の流れといえばそれまでですが、

進学、就職で若者が育った地域を離れ、便利な所へ移り住む、少子化により兄弟、従妹が少なくなっている。皆様の住んでいる地域はどうでしょうか?

昨年の九月の秋彼岸、檀信徒の皆様、多くの良縁で境内にお地蔵様を設置しました。

このお寺、延命寺の「延」、そして上記のご縁の「縁」、円満の「円」から“えんじぞう”と名付けました。延命寺をお参りいただき、延命長寿、そしてより多くのご縁、ご縁による諸縁吉慶、良縁到来、そこからの地域円満、家庭・夫婦円満をお祈りいただければと思います。写真のように丸くほんわかしたお地蔵さまです。三十三観音参拝の際、観光や釣りの寄り道にお参りいただければと思います。

また、“えんじぞう”をデザインした絵馬を販売しています。祈願を書いて境内の絵馬掛けに奉納してください。

第十四番札所 遍照寺(へんじょうじ)

参拝者との会話より(納経所にて)

ある日病気回復を祈って巡拝している方がみえました。

「私は、脳梗塞で半年入院していました。やっと巡拝できるまでに回復したので、杖をつきながらお参りしています。今、自分で歩けるようになり、心経を唱えたり、人とおしゃべりしたりして、身体や頭をつかい、リハビリにもなっています。また、お大師さま、観音さまに病気回復を念ずる心が通じるのか、今年もお参りさせていただき感謝しています。」

これこそ身体、言葉、心の三密行の巡礼で病気回復への奇跡の力を得ているように思えました。

別のある日、すてきなTシャツを着た方がみえました。

Tシャツの前後にナムちゃんのワンポイント絵、また、南無大師返照金剛、観音さまのお姿等、いろいろあります。お聞きするとネットで購入するとのこと。「楽天、ヤフーの次に遍路→グッズ一覧という手順でさがし購入」とのこと。

今やネットで買い物は普通なのでしょうが、時代に遅れている私は初めて知りました。

参拝者からいろいろな情報を得ています。

寺院紹介 第十三番札所 神護寺(じんごじ)

師崎観音神護寺(じんごじ)の案内

神護寺は、知多半島を代表する古社の一つ、羽豆神社の神宮寺としての天台宗比叡山延暦寺派の歴史を刻んできました。

昔から厄除け、安産の寺として親しまれてきましたが、「揺りカゴから墓場まで」福祉の理念そのままに、観音さまは働いてくださっております。

霊場巡拝はどうしても慌ただしい御参りになりがちですが、お寺ではゆっくりと時間を過ごしていただけたらと思っております。

本堂は元禄時代の建物で、絵馬の一つに六歌仙の額があり、天井には大阪の森本有泉画伯のお弟子さんによって奉納された天井画があり、師崎の切り絵作家山崎修氏の作品や、写真愛好家による左義長の写真があげられております。

納経所のある建物には名古屋城で焼かれた御深井焼きの毘沙門さまを中心に焼き物の七福神をお祀りしておりますが、近年、村の信者さんの計らいで、京都から「ひざの護り普賢さん」を迎えることができ、思わぬ土地の方も足を運んでくれております。

また、裏山にも観音さまが祀られていて、そこからの景色に(観音さまのふだらく浄土を眺める思いで)心をいやして戴ければと思っております。

神護寺の行事

一月第四日曜日  八大龍王大祭と左義長採火式護摩祈祷

※この日は境内に大漁旗が五十本近く揚げられます。(午前中)

二月三日

節分星祭り 厄除け祈祷

※この日は秘仏(持経観音)のお開帳が行われます。

「観音の 手に持つ蓮華 開かずも

菩提の種は 熟しおるなり」 合掌