須佐の入江と『ごもんじき』  第17番札所 極楽寺

古来より須佐のふる寺と尊称され、広く親しまれる当山の裏山(ぐもんじさん)は『ごもんじき』と呼ばれ、聖崎に上陸した弘法大師が求聞持の秘法を修行した尊い場所です。また、平治の乱で敗走し、野間大坊で討たれた源義朝公が、再起を賭け海路東行する為にめざした寺であるとも伝えられています。

海をへだてて伊勢の山々を望み、眼下には須佐の入江が広がっています。

「物に寄せて思ひを陳ぶ」

あぢの住む須佐の入江の荒磯松

我を待つ児らはただ一人のみ

(訳)アジガモの住んでいる須佐の入江の荒磯に生えている松のように、私を待つ女性はあなた一人だけです。

これは万葉集巻十一に詠まれた作者不詳の歌で、豊浜小学校には佐々木信綱揮毫による歌碑があります。須佐は豊浜の旧地名であり、太古から天然の良港として知られ、数多くの船の寄港地として繁栄していました。この港が須佐の入江に違いないと考えた斉藤駒吉氏や松田好夫氏ら先生方の永年の研究によって、豊浜須佐湾説が広く認められるようになったのです。昭和54年、名残りの荒磯松が一本残っていた峠の一角に、「渚沙乃入江」の碑が建立されました。

さて、万葉集巻十四にはもう一首、須佐の入江を詠み込んだ作者不詳の歌があります。

東歌「相聞」

あぢのすむ須佐のいり江のこもり沼の

あな息づかし見ず久にして

(訳)アジガモの住んでいる須佐の入江の奥深くこもる沼のように、気持ちがこもって息苦しいことです。あなたに長い間会わないので

以上の二首は別々に編集されてはいますが、松田先生の説によると、元々は男女の問答歌であったということです。

『ごもんじき』は、実に千年以上に渡って須佐浦の歴史と人々の営みを見守ってきました。それはこれからも続いていくのです。

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