長福寺は、寺歴や縁起を示す文献などが残されていないため、定かではありませんが、本堂修理の時に、棟木に記されていた文政年中の墨跡から、この乙方の地に移転して、かれこれ200年になろうとしています。
昔は、矢梨の信号より南の海岸沿いにあり、往時には、沖を通う船が黄金に輝く御本尊阿弥陀如来を敬い、しばし速度を落としたと言われています。その本尊がある夜盗まれ、峠に捨てられてから、墨を塗られ、まっ黒になりましたが、現在は修復しました。
本堂右側の太子堂には、非常に珍しいとされる聖徳太子に二歳像「稚児太子像」が安置されていますが、こちらも縁起など詳細はわかっていません。現在は、毎年1月4日に信者が集まり、太子講が開かれています。
平成に入り、本堂前に梵鐘・大念珠を寄進され、今では参拝の折りに、大念珠を廻されお参りされている方が、見受けられます。
また県道沿いから見える、豊ヶ丘観音は、以前、乙方の北の地区に建立されていたものを、当寺に移転し、こちらも今では、参拝者の拠り所となっています。