第六番札所 法華寺(ほっけじ)

 法華一乗の心にのっとり、大乗山法華寺と名付けられたこの寺は、遠く三河湾を望む丘陵地にあり、隆盛をきわめた往時を偲ぶように静かに佇んでいます。

 多くの古刹がそうであるように、その歴史は明らかではありません。神亀五年(七二八)行基菩薩が、自ら刻まれた聖観世音菩薩を安置したのがはじまりと伝えられ、文治二年(一一八六)散位三善朝臣倫重が再興しました。公家の菩提寺として七堂伽藍をそろえ、塔頭十七坊、寺僧三百人の密教道場であったといわれております。その為に、天正五年(一五七七)織田信長の手兵に攻められ、堂塔は悉く灰燼となり僅かに一院を残すのみとなりましたが、幸いに本尊は火災を免れました。

 その後、文禄三年(一五九四)比叡山より真栄法印が住持するにおよび、復興の機運にめぐまれたものの、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦のとき、九鬼大隅守の戦火を受け、再び焼失しました。

 お寺の附近には、今でも金剛坊、遍照坊などの地名が残り、往時の古坊の廃跡を偲ぶことができます。

 こうして法燈は再び衰退しましたが、その後、寛永、享保、安政、明治、平成とそれぞれの時代に伽藍を興営して、恒に法華一乗の妙旨によって、真俗一貫の大道弘通につとめ、教化の道場となってきました。

 今の法華寺は、木立と竹林に囲まれ、山間の風情濃い境内には、桜や紫陽花など四季折々の花が咲き、静寂の中に心洗われるものがあります。境内には、浄土宗の高僧、徳本上人の念仏の碑があります。上人の碑は、郡内の多くの寺で見かけられますが、この矢梨の里も念仏の声に包まれた日々のあったことが偲ばれます。また、鐘楼の鐘には、百八のイボそれぞれにこよりがまかれています。これはイボ取りの秘法とのこと。他にも願がかけられているのでしょうが、素朴な信仰に里の暖かさが感じられます。

 戦乱を逃れた御本尊は、古来「矢梨観音」と呼ばれて親しまれており、毎月十八日には護摩供養が厳修され、多数の善男善女の参詣により賑わっています。

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