「和尚さん、もうジャガイモの種を植えたかえ」と聞いてくる人がいる。「まだです、もう植える時ですかね」
春が来ると待っているように、畑仕事が始まるのです。
和尚さんの母はとても畑仕事が大スキで、朝から夕日が沈むまで、畑でコツコツ仕事に精を出していました。小学校の時、「遊んでばかりいると、畑仕事を手伝いな」と云って、子供たちは良く畑に連れて行かれましたよ。
もちろん子供ですから遊んでいる方がいいにきまっていますから、いやでいやで仕事を手伝っていたのでしょう。
畑仕事をしないで遊んで帰ってくると「晩飯は抜きだ!!」と云って叱られましたよ。
それがどうでしょうか、今、和尚さんは自分からトラクター、コウウン機を使って畑仕事を楽しんでいるではありませんか。
鍬を持って振り上げるたびに思うこと。母はどれだけ、この鍬を振り上げ土を耕したことか、今、和尚さんが一生懸命に鍬で耕しているのだが、
まだ何分の一にも、足下にも追いつかないだろうな―――母は本当にスゴイ人だな―――と思うのです。うしろ姿、母の生き方が和尚さんの胸の中に焼き付いています。春の彼岸が来ます。しっかり感謝の心と元気で生きている事をお墓で報告したいと思います。 合掌

平平凡凡が最高

若いときには、平々凡々の人生はつまらないと思った事はありませんか。ところが和尚さんも歳なんでしょうか。ひとは歳が大きくなると若いときほど欲というものが少なくなるのではないでしょうか。皆様、考えたことはないでしょうか。

和尚さんは、お参りに来る人に欲の話をすることがあります。それは歳の性でしょうか。

若いときには、何処かに遊びに行きたい、彼方此方に思いを抱いたものです。しかし、今は「遠いし面倒臭い、興味がないからいいよ」と足が重くなって行こうと思わなくなりました。

何か欲しいものがありますか。若いときには、あれが欲しい(服、時計、カバン等々)と思いましたが、今は着る物は今までに買ってある物で充分に足りているから、別に欲しいと思わなくなりました。

若いときには、厚いステーキ、ケーキ、いろいろ食べたいと思ったことがありました。しかし、今、「和尚さん、何か食べたいものありますか」と言われても、「別に何でもいい、これと言って食べたいと思う物はないです」と答えると思うのです。

この三つの質問を自分自身に聞いてみて下さい。行きたいところがあるか。欲しいものがあるか。食べたいものがあるか。まだまだあると言う人は、きっと若いと言うことでしょう。

そこで貴方は何が一番欲しいと思いますか。それは健康ではないでしょうか。歳を重ねるほどに健康のありがたさを思う人が一番沢山いると思います。健康で暮らせることのありがたさは、自分の体が不自由になり病んで初めて気がつくのです。健康で何も無く(良いこと、悪いこと)平平凡凡が一番に幸せな事なんです。それを改めて思いいたし、この一年を感謝で暮らしたいと思います。

南知多三十三観音霊場会 会長 宝珠寺 永井成典 合掌

不徳の致す所

この「不徳の致す所」よく耳にしませんか。

これはどういう意味があるのでしょうか。和尚さんなりに考えてみました。

洗い観音さまにお参りに来る人が、「和尚さんは笑顔がステキですね。奥様と喧嘩した事が無いでしょ」そんな事を言って下さる人がいます。しかし、とんでもございません。和尚さんも人間だから喧嘩もし、怒りもしますよ。

でもね、このごろ歳のせいでしょうか。口答えをしなくなりました。口にチャックをして我慢します。だって一言話せば、二倍、三倍もの反撃に合いますから・・・”沈黙は金”と言いますからね。何も口答えをしないのが一番です。その場が荒れなくて、早く丸く治るのが良いと思うのです。

しかし、よく考えて見ますと、そうなる理由があるのではないかと思うのです。日頃、和尚さんが生活の中で、ちゃんと隅隅まで気をくばって、心のある優しさを持って生活していれば、それなりに相手方も少しの事ぐらい大目に見て協力もし、至らない所があれば穴埋めもしてくれると思うのです。

ですから、日頃の生活態度が出来ていなかったのではないかと反省して、和尚さんの不徳の所がこの事態を招くのではないか・・・と思うようになり、心の中で徳の無さを反省する次第です。

会社の中、仕事の中、家庭の中でも日頃の自分の生活態度がそこに現れるのではと思うのです。皆様はどう思われますか。思うように物事が出来ないときは、「不徳の到らない」自分を反省する和尚さんです。

南知多三十三観音霊場会 会長 宝珠寺 永井成典 合掌

 

見えない所で

黄金色に実った稲が田んぼに晩夏の風に吹かれ、優しくゆれています。心が豊かになりますね・・・新米が取れるんだ。大きなおにぎりを作って食べたいね・・・。

どちら様もお変わりありませんか。

お米を作るには、八十八回も手間ひまがかかると云います。和尚さんは若い時の修行中「一粒のお米も残さず食べる」と云うことをしっかり教えて頂きましたので、今でも三度の食事の時は残さずにお米もおかずも残さずに食べます。見えない所で一生懸命に作って下さる人のことを思うと、残すことは「目が潰れる」と云ってはいけないと思うのです。でも、これは着る物、道具、本等々の何事にも言えるのです。もったいない、また使える。そして、沢山の物が部屋に一ぱいになりますね。

そこで、こんなことが、おきてしまいます。

掃除をする時「和尚さんが居ると、何にも片付かないから、あっちへ行って下さい」女房に良く云われるのです。実に困った事です。

皆様は、そんな事は無いでしょうか。人は良い面も悪い面もあるのですから、仲よくして行きたいものです。

南知多三十三観音霊場会 会長 宝珠寺 永井成典 合掌

 

天然の和尚さん

七月のある日、和尚さんが山の畑に行く道で、車を運転して行くと、道を横断しようとするヘビに会いました。結構大きく1メートルはありました。ビックリです。和尚さんはねずみ歳ですから、ヘビは苦手です。
でも、車でひいたりしません。ゆっくり道を渡って草むらに入って行くのを待っていました。
その時、フット思ったのです。今のこの世の自然の中でヘビと遭遇するなんてなかなか無いことです。きっと良い事があるぞ。へびは金が溜ると云って子供のころヘビの抜殻の皮を財布に入れていた事を思い出しました。
貴方様もしましたでしょうか。そうだ、今日は宝くじでも買いに行こうかなーーー?

そして又、何日かして同じ場所で今度はカメさんに会ったんです。それも大きい三十センチぐらいはあったと思います。カメさんにもなかなかこの世の中、この自然の中で会うことは無いと思います。ゆっくりのしのし歩いて道を渡り草むらへ入って行くのを見守りました。
そこで、和尚さんは思ったのです。カメさんに遭遇するなんてめったに無い事だから、きっと長生きするぞーーーと、にっこり微笑んでいる姿が可笑しかったです。
人は思うことは自由でしょ。どう思い、どう考え、どう実行するのか、不思議と思えませんか。
ヘビと出会って、カメと出会って貴方様は和尚さんと同じ思い考えをされるのでしょうか。
それとも、もっと私はこんな事を思うと云う人、是非お便り下さいね。

南知多三十三観音霊場会 会長 宝珠寺 永井成典 合掌