神ってる

この言葉は昨年の流行語大賞。「語源」は、プロ野球広島東洋カープの緒方監督が六月十八日の試合後に報道陣の取材に対して使ったのが最初だという。
鈴木誠也外野手が、二試合連続サヨナラホームランでチームが勝った「神がかった活躍」があったことから、監督の口から出た言葉です。
そして、洗い観音さまの寺にも、ちょっと不思議な事があったのです。それは、一本の電話から始まりました。

昨年の十二月二十六日にかかってきました。
「もしもし、和尚さんですか。洗い観音さまですか。」
「はい、そうです。和尚さんですよ。」
「実は、和尚さんにお参りをお願いしたいのですが。」
「どういう事でしょうか。」
「実は、私は武豊町に住んでいるものですが。生まれは鹿児島県で、愛知県に就職して暮らしています。子どもの時に両親が亡くなったので、近所のおばさんに育てられたのですが、九十四歳で亡くなりました。大変お世話になった人ですので、葬儀に行きたかったのですが、ちょっと行くことができませんでした。香典は送ったのですが、どうも気持ちがスッキリしないので、知っている和尚さんにおば様のお参りをして頂きたいと思って電話をしたのですが。」
「そうですか、分かりました。法名と亡くなった日、お供えを持って来て下さい。」

そして、二日後にご夫婦、娘さんの三人でお参りに来ました。和尚さんは、顔を見たらすぐに何回もお参りに来て下さる人だと分かりました。
法名とお菓子を本堂の前にお供えして、和尚さんの後ろへ坐って頂き、お経さんを一緒に読み供養いたしました。
終わった後、「きっと皆様の心が亡きおば様に届いて喜んでいます。」和尚さんが話しますと、一緒にお参りした娘さんが目に涙しているのです。どうした事かと思いましたら、右手を前に出し指さして、「そこに名前が書いてあるのは、私の主人の名前なんです。どうしてそこにあるのでしょうか?」と聞かれました。
実は毎朝和尚さんは信者様の御祈祷を受けてお参りしています。申込書の紙が経本の横に置いてあったのです。
まさか、偶然に来て父母のおともをしてお参りに来たのに、自分の夫の名前が目の前にあるとは、、、どうして、、、と思ったことでしょう。
それは実は、二日ほど前に阿久比町から来たご婦人が私の息子が病気をしたので、元気に暮らせますようにと洗い観音さまにお願いに来たのです。それを和尚さんが毎朝観音さまに御祈祷をしているのです。
そのように説明すると、「知らなかった。私の夫のお母さんが私の知らないところでお参りをしてくださっていることを、、、本当にありがたいことです。」
嬉しさ、ありがたさ、驚きに自然と涙が出たのでしょう。

私どもは、知らないところ、目に見えないところで、親の祖父母、またずーと先祖様から「どうぞ内の子どもや孫が元気に暮らせますように」と神仏にお参りして頂いてきているのです。それは、自分がそのように子ども、孫のために祈っている人には分かるはずです。ありがたいことではないでしょうか。偶然というか、娘さんの心に強くありがたく思った事でしょう。和尚さんもビックリしましたよ。ありえないことです。
「神っていませんか」
和尚 合掌

『今日が最初の 最後の一日です』の標語を読んでいる時に、八月二十八日、一人のご婦人が、まだ五十歳前後の若い方が洗い観音さまにお参りに来ました。

「十年ほど前に、父母と来たのですが、心には思っていたのですが、やっと来ることが出来ました。もう亡くなったのですが、苦しまず、安らかに逝きました。
お礼参りをしなければと思っていたのですが、やっと出来ました。本当にありがとうございました。」
「どこから来たのですか」
「岐阜県からです」
「遠くから良く来て下さいました」
少しお話をしていると、一人で電車とバスで来たというのです。ちょうどフリーパスの券を頂いたので、それで来たのです。
「それは良かった。帰りは気をつけて帰ってね」と見送ったのです。
和尚さんは郵便局に行く用事で車で道路まで行きますと、その方がバス停の所へ行くところでしたが、目の前をバスが出てしまったのです。
バスは一時間に一本しかないので、車でそばに寄り、「私が郵便局へ行きますから駅まで送ります。」と言って、駅まで一緒に行ったのです。とっても恐縮して喜んでいました。

お参りすると、心も体も気持ちがいいものですね。  和尚 合掌

幸せは遠くなる

『人間五十年 化転のうちをくらぶれば 夢まぼろしの 如くなり』
これは、織田信長の歌という。
和尚さんは最近、吉川英治の『三国志』の本を読んだのですが、中国の歴史小説の中に『古希』の言葉が出てくるのです。
古希は七十才の歳をいう事ですが、意味は「まれにみる」と辞書にあります。
思うに、昔は人間の寿命は五十年で、七十年も生きることは、まれに近くなかなか生きられなかったかと思うのです。
和尚さんも今年七十歳の「古希」になり、考えるのです。
現代の社会でこの人生、五十年。古希の七十年があてはまることなのか。
日本人の平均寿命は、男性八十歳、女性八十七歳というのです。ですから、人生八十年ですか、三十年は伸びたことになり、「古希」は、まれに見るのであれば、百歳になるのではと・・・思うのですが・・・?
そんなに寿命が長くなったのは、食べ物、医療が多いにあると思います。
しかし、幸福の実感はどうでしょうか。一人一人の心の受け取り方の違いで分かりません。
世の中は、どんどん進歩してきました。
昔、和尚さんは電車に乗って学校へ通学していた時、車内は新聞、本を読んでいる人がいっぱいでした。
今はスマホを見ている人で、車内も歩いていても、ほとんど何処でも離さず持って生活している。
病気ではないかと思うように、生活ががらりと変わりました。
一つ、洗濯機をとっても、昔は洗濯は手で洗いましたね。今は洗濯機に入れると、乾燥までしてくれるという(和尚さんの所には無いですが)
この節約した多くの時間はどうなってしまったのでしょうか。部屋でテレビを見る。友達とお茶をする。お金が必要だから、仕事をする。いろいろあると思います。
しかし、回りを見ると、家族はバラバラ、一緒に食事をすることもどんどん少なくなり、一人一人勝手に生きて時間を過ごす方向に進んでいるように思うのです。
生活が楽になる、便利になるほどに、幸せはどんどん遠くへ行くのではないでしょうか。
進歩は、幸せを遠くするのではと思うのは和尚さん一人でしょうか。
家族が一つになり、力を合わせて生きてきた昔の日本の田舎生活が懐かしく羨ましく思う和尚さんです。
貴方は、どう思いになりますか。
『昔に戻ることは出来ず、前に前に進む(進歩の世界へ)』いいのでしょうか。考えてみる必要があるのでは? 和尚合掌

御馳走が和尚さんを迎える

五月二十九日に豊川稲荷に行って来ました。
本堂完成祝い、永平寺福山諦法禅師在任十周年のお祝いがあったのです。
和尚さんは高校生の時、豊川稲荷で修行していたのです。昼は寺の小僧さん、夜は夜間高校で勉強をしながら、四年間の修行生活をしていたのです。
朝は早く、四時起きの毎日の生活です。眠くて眠くて、お経を読んでいる時に、コックリコックリしていたので、よく先輩に叱られました。
食事は精進料理(麦飯、味噌汁、漬け物、肉のないカレー、カボチャ、大根、野菜の料理)三度の食事だけしか食べることが出来ないので、腹がへって腹がへって、今では粗末な食べ物でもよく食べましたよ。麦飯も何杯もお代わりしましたよ。だから、入学した時は一番小さかったのが卒業するときは大きく生長していました。
豊川稲荷には、全国から商売繁盛、五穀豊穣、大漁満足等々の御祈願をされる参拝者が沢山こられます。その中には、会社の社長さんも来られて、宿泊して朝一番の御祈祷をされる方がおられます。
その時に出される豊川稲荷の特別精進料理のお膳は、スバラシイ御馳走で、和尚さんは小僧の時に横目で見ては、一度は食べたいなーーー何時になったら食べられるのか・・・と思ったものです。
それが、今回の祝賀会に行ったら、その特別精進料理の御馳走が出たのです。お膳の前に坐った和尚さんは、昔の小僧さんの時のことが思い出されました。目の前にある御馳走を見て感動しました。
お膳に乗っている一品一品の御馳走が和尚さんを待っていたように迎え入れて下さるように、こう云うのです。
『よくぞ、今日は来て下さいました。貴方様もやっとこの食事を頂くことのできる和尚さんになれましたね。どうぞ味わって食べて下さいね』と言われたように思い、目頭が熱くなりました。しばらく、じーっと見つめていました。
そして、「いただきます」と云って一番に豊川稲荷の名物の煮あぶらげを口の中へ一口入れました。口一杯に美味しいあぶらげの汁が広がり、心にしみ渡りました。ありがたい、嬉しい、感謝の気持ちがあふれてきました。そして、胸が一杯になっていました。こんな思いで食事が出来たことを不思議におもいました。
五十五年も前に、この豊川稲荷で修行していたご縁のおかげと、改めて感謝せずにはおれません。
一度、奥様にも話だけでなく、豊川稲荷の特別精進料理の御馳走を食べさせてやりたいと思っています。   合掌

何か心配な事

心配の無い人は生きているかぎり無くならないと思いますよ。
貴方は心配な事は無いですか。和尚さんはありますよ。それは後でね。
あの有名な天下を取った徳川家康公、地位、名誉、財産欲しい物をすべてを手にした大将軍でさえ
「人の一生は重荷(心配、苦しみ)を負って遠き道をゆくがごとし」という格言を残していることを知っていますでしょうか。
ですから、凡夫の人々には心配、苦しみから死ぬまで解放されないというのです。
そんなことを頭で思う和尚さんは、生きているからこそ思い悩むのであるから、少しでも少なく出来ないかと思って、昔からの智恵『吾、唯、足ることを知る』の教えを思って日々の生活をしたなら、少しは心穏やかに生きられるのではと思うのです。
そこで、和尚さんの近ごろの心配を聞いてください。
一ヶ月前に本堂の裏手のビワの実に袋を一生懸命にコツコツと何百袋もかぶせたのですが、少し色づいてきたかと五月二十日の朝御嶽山のお参りをしてビワを見たら、木の下にビワの袋が50ぐらい破れてビワを食べたカスが散らばっていました。
まだ、青いのに・・・赤くなる前に全部食べられてしまうのではと・・・すぐにカラス除けのグッズを竹の棒に付けて立てましたが・・・
どれほどの効果があるのか心配、心配・・・ビワに袋をかけ美味しいビワを作るのは、カラスの為ではないのです。
この和尚さんの気持ち、分かりますでしょうか。心配というのは、いつでもどこでもあるのです。皆様も悩みがあったら和尚の所へ来てみて下さい。    合掌

物の豊かさと心の貧しさ

今、日本の国に多くの外国人が来ています。その中で勉強に来ている留学生も沢山在籍(平成28年24万人)していることです。
その中の一人、オーストラリアから来た高校生が、サヨウナラ・パーティで、こんな素晴らしい挨拶をしました。
「わがオーストラリアと比較して、はるかに狭い国土に膨大な人口をかかえ、天然資源もほとんどない・・・そういう日本にハイテクな機器が家庭の中まで入り込んでいるのを今回の生活体験の中ではじめて知ることが出来ました。私たちが日本の段階に達するには、あと何年もかかると思います。これからも私たちもしっかり学んで、日本のように発達した国を作っていきたい」こんなスピーチでした。
私たちの自尊心をくすぐるような、そして日本の現状をよく観察したスピーチであると思いました。
帰りの電車の中でこの素晴らしかったスピーチを思い浮かべながら私の脳裏に浮かんだのは、女優の稲垣美穂子さんが書いた「愛の目覚まし時計」の中で紹介されているこんな話でした。
ドイツの友人が「日本は素晴らしい国だ。あの敗戦の中から現在のこんなにいい日本を作り出したのは本当に驚異としか言いようがない。しかし、今の子供たちが日本を背負っていくようになったら、この国は大丈夫だろうか。漫画やゲーム、携帯電話、おもちゃだけ与えられ甘やかされている子供たち・・・君はこの現状をなんとも思わないかい。」
稲垣さんは反射的に「うん、思う」と答えてしまった。そしてこのような子供のために出来ることは何かと考えたとき、「自分に出来ることはミュージカルしかない」こう決心して、劇団『愛の目覚時計』を結成したのです。
この劇団のいくつかある出しものに、アンデルセンの「にんぎょ姫」があります。この物語は本当の愛情はお返しを求めない、いわば無償の愛、愛する者のためには命さえも捨てることの貴さを子供たちに訴えるねらいをもっています。
ところが、このミュージカルのクライマックス、王子をナイフで刺し殺そうか、それとも愛する王子様の幸福のため、自らの身を海に投げだそうかと迷うシーンがあります。この場面で以前は「殺しちゃいけない!」と叫んでいた子供たちが、「早く、殺してーッ」という悲痛な声が暗い客席から聞こえるようになった。初めてこの声を聞いた時、稲垣さんは手にしたナイフを落としそうになったと語っています。
さて、オーストラリアの生徒のスピーチに、私たちは自己満足に酔っていてよいのだろうかと反省させられました。私たちは眼に見えないところで、大切なことを忘れてはいないだろうか。「殺せ!」という叫び声は何も子供たちばかりではない。現在の多くの日本人が、自分のこと、自分の利益しか眼中になく、他人に奉仕する真の意味で人を愛することが出来なくなってきているとはいえないでしょうか。
私たちは、愛という言葉を日常の生活の中でよく使います。しかし、心の底ではいつの間にか、自分のために人を愛するというエセの愛、自己中心的になっているのではないか。貧しい心とはこの「自己中心的な心」をいうのです。
世の中はどんどん進歩して変わっていきます。それに対して人の心はどんどん冷めて情がなくなっていくことを淋しく思うのです。 合掌

桜の花が咲く季節になりました。お元気でしょうか。
先日、半田市、阿久比町、美浜町から三人娘さん(八十歳代)が洗い観音さまにお参りに来て下さいました。仲良しでしょう。
女三人寄れば姦しいと云うのですから結構なことです。和尚さんも楽しく仲間に入ってお話し致しました。その時、こんな話が出ました。
「病まずに、家族の者に迷惑かけないで死ぬのが一番と思っている」と言うのです。
それは歳を取れば、どなたも思うことですよ。和尚さんも古希(70歳)になったので、考えますよ。

十五年前、洗い観音さまの老人ホームに入荘していたYさんは夕食後に皆様と話をして部屋へ帰って寝ると云って行きました。
次の朝、起きてこないので和尚さんが部屋へ見に行ったら、もう亡くなっていたんです。よく和尚さんの子供の子守、お寺の掃除のお手伝いをしてくれました。
今でも和尚さんの寺で御供養を毎月しています。
やっぱり、観音さま、仏さまが見ているのでしょうか。生前に良いことをして「ピンピン、コロリと死にたい」と云っていましたから良かったと、今でも和尚さんは思っています。
”念ずれば 花ひらく”思い念じていれば、きっと願いがかなうのではないでしょうか。  合掌

久々の休日

三月二十四日(金)和尚さんは甲子園にいました。
明徳義塾対早稲田実業の試合の応援に行ったのです。和尚さんは明徳の方の応援です。
その日は、いつものより早起きで、朝のお参りをいつものようにして、七時の内海駅を出発、途中でボランティアに来て下さる兼松氏と合流して、甲子園に向かいました。
実は洗い観音さまにお参り下さるMさんが、目を細めて少し誇らしげに「和尚さん、今度、春の甲子園に私の孫が出場するんです」と言うのです。
「何々、Mさんの孫さんが甲子園に出る。それはお目出たい事!!」それを聞いた和尚さんは「和尚さんも行くよ!!」と声が出ました。
和尚さんの孫が出場する事を考えてみると、Mさんの気持ちは良く分かる。

もう二年前でしたか、和尚さんの出身の豊川高校が初めて愛知代表で出場した時が初めての甲子園の応援でした。その時の感激した熱い思いを忘れることが出来ず。

今回、Mさんの嬉しい心の内は、すごく身近に思い、それでは行かなければと心は甲子園に飛んでいく気持ちになり、お母さん、息子に留守番をたのみ電車に飛び乗ったのです。
試合は皆様も知っていると思いますが、九割九分勝っていたのですが、、、残念でした。大きな声で立って体を動かして手をたたき「あと一人、あと一人」と、一生懸命に応援したので、回りの人が、和尚さんを見ていました。熱くなると力が入るのですね。

しかし、負けた後はとっても疲れましたよ。いい試合だったな―――と、自分を慰めて大阪駅で、肉まん、シュウマイをおみやげに買って帰ってきた次第です。お母さん、息子よ、和尚さんに楽しい時間をありがとうございました。
皆様にも和尚さんの様な元気がありますか。 合掌

「和尚さん、もうジャガイモの種を植えたかえ」と聞いてくる人がいる。「まだです、もう植える時ですかね」
春が来ると待っているように、畑仕事が始まるのです。
和尚さんの母はとても畑仕事が大スキで、朝から夕日が沈むまで、畑でコツコツ仕事に精を出していました。小学校の時、「遊んでばかりいると、畑仕事を手伝いな」と云って、子供たちは良く畑に連れて行かれましたよ。
もちろん子供ですから遊んでいる方がいいにきまっていますから、いやでいやで仕事を手伝っていたのでしょう。
畑仕事をしないで遊んで帰ってくると「晩飯は抜きだ!!」と云って叱られましたよ。
それがどうでしょうか、今、和尚さんは自分からトラクター、コウウン機を使って畑仕事を楽しんでいるではありませんか。
鍬を持って振り上げるたびに思うこと。母はどれだけ、この鍬を振り上げ土を耕したことか、今、和尚さんが一生懸命に鍬で耕しているのだが、
まだ何分の一にも、足下にも追いつかないだろうな―――母は本当にスゴイ人だな―――と思うのです。うしろ姿、母の生き方が和尚さんの胸の中に焼き付いています。春の彼岸が来ます。しっかり感謝の心と元気で生きている事をお墓で報告したいと思います。 合掌

平平凡凡が最高

若いときには、平々凡々の人生はつまらないと思った事はありませんか。ところが和尚さんも歳なんでしょうか。ひとは歳が大きくなると若いときほど欲というものが少なくなるのではないでしょうか。皆様、考えたことはないでしょうか。

和尚さんは、お参りに来る人に欲の話をすることがあります。それは歳の性でしょうか。

若いときには、何処かに遊びに行きたい、彼方此方に思いを抱いたものです。しかし、今は「遠いし面倒臭い、興味がないからいいよ」と足が重くなって行こうと思わなくなりました。

何か欲しいものがありますか。若いときには、あれが欲しい(服、時計、カバン等々)と思いましたが、今は着る物は今までに買ってある物で充分に足りているから、別に欲しいと思わなくなりました。

若いときには、厚いステーキ、ケーキ、いろいろ食べたいと思ったことがありました。しかし、今、「和尚さん、何か食べたいものありますか」と言われても、「別に何でもいい、これと言って食べたいと思う物はないです」と答えると思うのです。

この三つの質問を自分自身に聞いてみて下さい。行きたいところがあるか。欲しいものがあるか。食べたいものがあるか。まだまだあると言う人は、きっと若いと言うことでしょう。

そこで貴方は何が一番欲しいと思いますか。それは健康ではないでしょうか。歳を重ねるほどに健康のありがたさを思う人が一番沢山いると思います。健康で暮らせることのありがたさは、自分の体が不自由になり病んで初めて気がつくのです。健康で何も無く(良いこと、悪いこと)平平凡凡が一番に幸せな事なんです。それを改めて思いいたし、この一年を感謝で暮らしたいと思います。

南知多三十三観音霊場会 会長 宝珠寺 永井成典 合掌