南知多三十三観音霊場会・札所寺院
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第31番 如意輪寺

宗旨 
真言宗豊山派
ご本尊
如意輪観世音菩薩
ご祭祀
十一面観世音菩薩
住所
知多郡南知多町
内海中の郷
 
如意輪寺の由来
円空作
「薬師如来像」
海運で栄えた
「内海」
 
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井際山 如意輪寺

内海の繁栄を見守り、永々と歩み続けて来た如意輪寺は、 内海川のほとりで今も時代を見つめています


 如意輪寺の由来

 如意輪寺の縁起は古く、奈良時代に僧行基が行脚のとき、この地にとどまり、建立した管福寺の子院として、創建されたのです。

 しかし南北朝の頃、観福寺も次第に衰退の一途をたどり始め、それにともない子院の多くも荒廃したのですが、 元亀三年(1572)高僧梅山和尚により中興になったのです。

 役行者をまつり、十王像が安置されていますが、古くはこの地方は熊野修験者が多く住み、 山岳信仰も盛んだったことを物語るものでしょう。


 円空作「薬師如来像」

 また、如意輪寺には、高さ63、8pの円空作、薬師如来立像があります。 いつも見られるというものではなく、旧暦の十月八日から十二日の間だけご開帳される秘仏です。

 前述の十一番札所の成願寺には、円空作善女龍王像(昔は、竜神観音像と言われた)、二十九番札所の慈光寺には、円空作弁財天とが三十三観音霊場内三ヶ寺にあります。それで、平成26年に この三カ寺により「南知多円空三佛霊場」が発足しています。

 なぜこの知多半島に円空が逗留して仏像を作成したのか、まだ明らかではありません。 とはいえ旅に生きた円空が、この知多半島に来たとしてもおかしいことではありません。


 海運で栄えた「内海」

 知多四国巡り四十六番の札所であるこの如意輪寺は、文政七年(1824)、 亮山阿闍利と同志が知多四国めぐり(新四国)を開いた翌年、文政八年(1825)、八十八ヶ所霊場の本部が置かれています。

 本部がおかれたこと一つとっても、この内海の地が、千石船をはじめとする海運でいかに栄えていたかを知ることができます。 そして、その中心が、内海川の流域です。今は静かな街並みを残し、落ち着いたたたずまいを見せています。 内海川の流れは絶えずして、移り変わるは人の世の常。


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