
天文三年(1534年)田原城主三代目戸田孫八郎は、今川義元からその忠義を賞せられ「全忠」という号を賜り、
知多半島のこの地に河和城(千八百石)を築き伊勢湾の水軍を監視した。
仏門に深く帰依した孫八郎は城外に一道場を建立して「全忠寺」と名付け禅僧宗薫和尚を師と仰ぎ初代住職とし、開山された。
年を経て、徳川家康が本能寺の変の後、京より三河へ帰るため、伊賀越えにて伊勢湾を渡り、常滑に着し、
義母の里、戸田家をたよりに来山する。河和城は明智光秀の使者が到着のため入城することができず、
半田市の常楽寺に送り、ここから三河大浜へ逃げたという。後年、家康は来山して本堂庫院がこれである。
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